座右の銘:最後に残るのは自分の肢体と貯金残高
2021/08/17
ブログ開設。
このはてなブログを開設するにあたっての経緯について。
わたしはもともと文章を書くのが好きだった。
好きだったというよりも、つらつらと長文を書くことができる能力があった。
小学5年生ぐらいから中学受験をするにあたって、いわゆるチェーン店的な塾ではなく、地元にしかない塾に通っていた。
(この時の体験もかなりユニークなもので、いつか書き起こしできたらな、と思う。)
そこで、国語以外はいつまでたっても伸びなかったのだが、国語だけはいつもいい得点を取ることができていた。
国語のテストのなかでも、記述問題が好きで、物語の登場人物の心情であったり、作者の意図であったり、そういう問題を解いているときに、長文を書くことに快感を感じていた。
今となっては、文章を書き起こすことが得意だったな、好きだったな、と思い返すことができるが、当時はもちろんそんなことを感じながら、問題を解いていたわけではなく、ただ単になんか妙にえんぴつがすらすら動くなと思っていた程度だったと思う。
文章を書くのが好きなら書けばいいと思い立ったのは、ほんとここ数日の間で、今までなんとなく自分が普段感じること、感じたことを共有できる場所がないかな、ともやもやしていたが、そういう媒体を探すまでには至らなかった。
ここ最近、心に余裕ができたからか、まず手始めに「note」をダウンロードし、数記事書いた。
心地よかった。
なんとなく小学生の頃に記述問題で感じたあの時の快感に似ていた。
普段職場で人とコミュニケーションを取らないので、また取っていたとしてもおそらく共感し合える人がいないので、何も考えずにただただ自分が感じたことを吐露することがこんなにすっきりするとは思わなかった。
noteでは、自分のエッセイや小説を投稿する場所にしたいので、日常的に自分の感情を書き出す媒体はないものかと思った矢先、見つけたのがこのブログサイトだった。
最近、年取ってから自分の手元に残るのはなんだろうとずっと考えている。
それで思いついたのは、二つ。
自分の体という資本
金という資本
ふっとこの二つが頭にふってきたとき、ああ、世界ってなんて殺風景なんだろう。と思った。
でも我ながら、「うまく世の中の条理についた答えを出せたな。」と思ったので、
今後これをわたしの座右の銘にすることにした。
座右の銘:最後に残るのは自分の肢体と貯金残高
殺風景な人生なのであれば、どうせなら自分というものを何かしらで残したい。
自分の体は老いた醜い体として残る。
貯金残高は今の自分次第でいくらにでも育てられる。
あとは、、?
自分の脳内に色んなメモリーがあるし、カメラホルダーには何万枚の写真がある。
しかし、これは何の発展性もない。
でも自分の過去があったからこその感受性が今、ここにある
それを言語化して、整理整頓してみればいいんじゃないか?
自分の心の動きをアウトプットして、そのアウトプットした感情から新たに生まれる考えをインプットして、、、を繰り返したいと思った。
どこかの誰かの心の歯車に関わることができたら幸いである。