最後に残るのは自分の肢体と貯金残高

自分の心の機微をそのままに

大人だって学校がほしい

たいていの人は義務教育である中学までか、高校、または大学までの約20年ちょっと、
学校に通い、先生に勉学を教えてもらう。
 
そのほとんどは、インプットの時期。
たぶんそれは社会人の場で、アウトプットするためだと思う。
 
しかし、学生だったときに、社会人になってからのアウトプットのために
今必死に勉強するぞ、と思って勉学がいたなんて到底思えない。
 
社会人になって、改めて思うものだ。
 
「ああ、あの時もう少し勉強しておけばよかったなあ。」と。
 
20数年ずっと勉強していたのに、そのあとは生涯インプットの教育なし。
 
あんまりにも極端だなあと思う。
 
しかも学生時代、まともに勉強していなかったら、どうだろう。
あんまりにもすっからかん人間すぎる。
 
大人はどこから学びを得ればいいんだろう?
 
自分で学ぼうとする意志がないかぎり、自分のアップデートがされないなんて怖いなと思った。
 
外身は60歳、でも知能レベルは23歳の大学生のままであることが当たり前に起こりえる。
 
もちろん感情とか人間スキルは磨かれているだろうから、幼稚な知能のままってことはないだろうけど、見識や知識というのは衰えていく一方で、インプットするためのリソースを自分で見つけなければ知能レベル23歳のおばあさんにならざるをえない。
 
 
さて、そしたらどこからインプットしようか、という話になる。
 
学校にはいけないから、身の回りのものから吸収するしかない。
 
本?新聞?映画?ラジオ?テレビ?
(上記以外があったら是非おしえてください、、。)
 
どれもこれも自分の興味がなかったら長続きしないものばかりで、勉強を継続することは難しいことなんだなと改めて感じる。
 
わたしは今さら勉強という堅苦しいものをする気は起きないので、自分の趣味であるラジオやアニメから何か新しい感情を得たり、新しい興味を見つけていきたいと奮起している。
 
自分の趣味から学びを得るという発想も意識をしなければ思いつきもしなかったわけだから、
おばあちゃんになる前にこれに気づけて良かったと思うことにする